30代を発狂せずに愉しむための2つの心がけ

http://diary.lylyco.com/2009/03/30.html
転載

30歳を超えても、困ったことに、大抵の人は発狂しない。

それは、まだまだ人生から降りられないことを意味する。そこの10代も20代もみんな、残念ながら素面で30代を迎える。何者でもない自分をひしひしと感じ、本当の自分なんてないことにも疾うに気づき、そもそも人の一生にさしたる意味なんてないんだと知って、それでも何となく正気で生きていく。そういうものだ。そもそも30代を恐れる若者たちは、そんなに充実した満足のいく10代や20代を送ってきたんだろうか。否。振り返ってみれば大したことのない人生だったはずである。30歳になって失くすような重大な幸福なんてひとつもない。ならば、これからを愉しく生きなきゃ損である。

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01:飽きたことに固執しない

人間30歳にもなれば、20代までにやった大抵のことに飽きてくる。あれほどワクワクしたゲームたちが色褪せて見え、テレビを視るのも2ちゃんねるに書き込むのも惰性でしかない。漫画を読んでももう3日3晩語れるような作品には出会えないし、アニメのDVD-BOXだって未開封のままいつまでも部屋の隅に転がっている。或いは、友だちといつでもケータイで繋がって、ファーストフードでダベって、恋人とくっついたり別れたりもして、人間関係の中にただ埋没して過ごしている。それ以外にやりたいことなんて思い付かないし、それが自分で選んだ生き方だからそう簡単にはやめられない。

本当にそうか。継続は力なんていうけれど、たぶん惰性は継続ではない。少なくとも、人生を楽しむ力にはならない。別に意味のないことをしてはいけないというのではない。人のやることにいちいち意味を問うなんてそれこそ無意味である。ただ、愉しくないことで自分を縛るんじゃもったいないと思うだけだ。ツマラナイことをやめればそこに時間と金ができる。30代はまだまだ知らないことが多い。知ったような気になっているならとんだ思い上がりである。今自分を縛っている縄より気持ち好い縄が見付からないとも限らない。そして、30代ならまだまだ体もそれなりにいうことをきく。

02:愉しいことは諦めずに続ける

なってみると30代は結構忙しい。仕事と人間関係にほとんどの時間を持っていかれる。好きでやってきたことが、今までのようにはできなくなってしまうかもしれない。毎日何度もブログを更新することはできないかもしれないし、イラストを描く時間がずいぶんと削られてしまうかもしれない。そして、毎日やってきたことが途切れがちになると何故かそれ自体をやめてしまう人が少なくない。もったいない話である。何も愉しいことをやめる必要はない。ペースを変えればいいだけの話である。ブログは2、3日に1回の更新でも続けられるし、イラストはひと月に1枚仕上げるのでも構わない。

もちろん、ペースが変われば、たとえば、属しているコミュニティ内での立ち位置が変わったり、場合によっては外れたりすることもあろう。けれども、それを理由にやめるには当たらない。趣味周辺の風景はコミットメントの仕方で変わるものだし、それは必ずしもマイナスではない。いずれ、ペースに合った趣味との付き合い方が見えてくる。Twitterを四六時中していないと落ち着かないという人は、それができる環境にいるからそう思うだけのことである。忙しくなったらやめなきゃらないということはない。実際、ぼくはたまにしか発言しないけれど、それはそれで案外に味わい深い。

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長々と書いたけれど、ひと言でいうなら「ツマランことはさっさとやめて愉しいことだけ続けろ」という話である。なんだ当たり前じゃないか。そう思ったなら実行すればいい。周りを見ても案外できていない人は多い。それで不満ばかりいっていたりする。何からやっていいか判らないなら、とりえあずゲームを全部売りに出すなり、ケータイのパケット定額制サービスを解約するなり、本屋でスイーツ(笑)情報を仕入れて食べ歩いてみるなり、デジタル一眼レフカメラを買っちゃうなり、とにかく今までやってこなかったことや、ツマラナイと決め付けていたことを試しにやってみればいい。

せっかくのまだまだ動ける30代、発狂なんてしている暇はない。



後で打ち直します。それまで転載させてください。